星の海に潜る

表現することを仕事にしたいので、思いついたことをひたすら書いてみる。

労働の価値は――格差社会を考える

格差社会と呼ばれることも多々ある昨今の日本。

働いても働いても貧困から抜け出せない人たちがいる。

一例として保育士という仕事を取り上げて考えてみようと思う。

 

保育士の場合

保育士の薄給については様々なところで取り上げられ、多くの人が認知することとなってきた。

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生活するには厳しい給料でありながら昇給も望み薄な環境で、持ち帰り残業をしながらダブルワークを余儀なくされる方もいるという。

上記のリンクの記事にある「母性を利用されている」という言葉が衝撃的であり悲しく響く。

 

保育士全てがこういった状況にあるわけではなく、とりわけ公務員保育士の初任給は多くの業種における新卒新入社員のものと同等程度らしい。

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低賃金で問題になるのは民間で働く保育士らしく、官民格差が大きい職種のようだ。

同じ仕事をしているのにどうしてこうも待遇に差があるのだろうか。

給料の出所や認可・無認可の違いも視野に入れれば施設の運営方法も大きく変わってくるので、その理由に関しては想像を巡らすことも容易いが、同じ仕事なのに給料が違う点には理解はできても納得はできない。

 

労働の対価、つまり給料は何で決まるのだろうか。

能力、労働時間、責任の大きさ……。

計る要素はいくつかある。能力に関しては業種ではなく個人によるものだが、残業もこなしつつ子供の命を預かる保育士の給料が安いのは解せない。

 

だから安倍首相が表明した保育士の給料を月額6000円引き上げるという案にも、まだまだ足りないと言いたくなる。

けれども、保育士の給料を上げようと思えば、自ずと保育料の割り増しも視野に入る。

しかし保育園の利用者は家計のために子供を預けて働きに出るのだから、それも多くの方が困ることになる。

保育料にお金がかかれば収入も減るわけで、一体何のために子供を預けて働きに出ているのかわからなくなってしまう(これに関しては後日改めて考えてみようと思う)。

 

保育士と言う仕事は需要があり、責任も重く、とても難しく根気のいる仕事である。

子供と遊んでいるだけのように見えるかもしれないが、全くそうではない。

日々の活動予定や事後の報告書の作成、連絡帳の記入、イベントの計画や準備。それらをやりつつ、子供たちの面倒を見る……。

子供を産んでわかったが、世界で一番可愛いと思える自分の子供の面倒を見ることですら気に病みそうになってしまうこともあるのに、何人もの他人の子供の面倒を見るのは体力的にも精神的にも大変だろう。

それでも「子供がかわいいから」と、この過酷な労働環境に飛び込んだり頑張り続けている保育士は多い。

 

しかし、薄給でもそう言って頑張ることを美徳と感じるのはお門違いだ。

その労働にはしかるべき対価があるべきなのだ。

同じことをしているのに働く場所が違うだけで、どうして生活苦に陥らなければならないのだろうか。

 

重労働低賃金は社会に蔓延している

労働に見合わない低賃金で生活に困窮しているのは保育士だけではない。

派遣労働者の多くもこの悶々とした気持ちを日々飲み込みながら働いている。

同じ場所で同じことをしているのに、給料もそのほかの待遇も全く違う。

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格差や貧困という言葉がこの国に蔓延している今、労働の価値を見直してもらいたい。

労働の価値をしっかりと推し量ってこそ、資本主義社会なのではないだろうか。

低賃金で人材を使い倒す現状は、今はなんとかなっても確実に未来を潰してしまう。

 

そのように口では簡単に言えるけれども、実際は保育士のように簡単に給料を上げられない問題も多く潜んでいるだろう。

だからと言ってそのままにすることはできない。

どうすれば解決できるのか、一般人なりに考えつつ、何か良いことを思いついたらこの場に書きとめることにする。

ここで匙を投げないで考え続けることこそ、変化の小さな小さな第一歩になると信じて。